仏教の読経はなぜ日本語に翻訳して行なわないのですか?
仏教の読経はなぜ日本語に翻訳行なわないのですか?仏教の読経はなぜ日本語に翻訳行なわないのですか? …続きを読む宗教 | 7:28民族性というものが関係するようですね。。
インドからスリランカに仏教が伝わった時には、インドの地方語の一つであるパーリ語が使われていたのですが、スリランカ人は、それをそのまま使う、そのまま残す、ということをしま。。
もちろん、意味を知るために自国の言語に翻訳もしますが、実際に修行には、パーリ語をそのまま使ったということです。。
釈迦が発言葉だと考えて大事にとされます。。
言葉そのものに力がある、という感覚もあったと思いますね。。
いわゆる呪文ですね。。
ちなみに、イスラム教では、聖典であるコーランは、翻訳はならないとされているようで、キリスト教でも、最初のうちは翻訳されなかったようです。。
それに対、インドから中国に仏教が伝わると、中国語に翻訳されたものが使われて、インドの言語による原典の多くは大事にされずに消失しまいま。。
中国人は、自国の文化へのプライドが高いと言われますね。。
そう、中国語に翻訳された経典が日本に伝わった時に、日本人がどうか。。
それは、スリランカ人のように、その言語を大事にということですね。。
それについては、以下の記事があります。。
>日本人は外来語を「なんかカッコいい」「なんか頭良さそう」「なんかオシャレ」だと認識する習性があるからです。。
>さて、仏教が伝来ときの外来語といえば中国語で。。
>つまりお経というのは外来語で書かれたオサレな経典、なんか知的でカッコいいものだったのです。。
その後も中国語で書く=インテリ、知的という価値観が長く続き、明治まで漢語漢文は教養や知性を示す言葉だったんですよ。。
(引用終わり) インドの言葉が中国で漢字に訳された時には、仏教の用語と特に大事な単語は、インドの発音をそのまま中国語の漢字に当てる(例えば、インドで智慧を意味するパンニャという単語が、般若と音写される。。
それは漢字の意味に関係無い。。
)ということも行われまから、大事な言葉をそのまま使う、その言葉に不思議な力があるという感覚は、中国人にもあったようですが、日本人は、その意識が更に強いと言えるでしょうね。。
お経と言えば、般若心経が有名ですが、その最後は呪文で、それもインドの言葉の発音を漢字に音写ものです。。
だから、中国人にとって般若心経は、中国語とインドの言葉がミックスされた経典ですね。。
それから、一般人にとっては、葬式で、なんか呪文のようなことを唱えてもらった方が、ありがたいと感じる、ということがありそうですね。。
このはいかがでか? 7:44ちなみに、曹洞宗では、経典の他に「修証義」というものが使われて、それは開祖である道元が当時の日本語で書いたものです。。
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