いわゆる国家神道(小室直樹氏の表現では「天皇教」)は、今となっては国家ぐるみのカルト宗教だった...
9:3200いわゆる国家神道(小室直樹氏の表現では「天皇教」)は、今となっては国家ぐるみのカルト宗教だったという人もいるようですが、日本の近代化には逆説的ではありますが意味があったのではないかと考えます。。
いわゆる国家神道(小室直樹氏の表現では「天皇教」)は、今となっては国家ぐるみのカルト宗教だったという人もいるようですが、日本の近代化には逆説的ではありますが意味があったのではないかと考えます。。
そこで御意見をうかがいつつ質問とさせていただきます。。
1937(昭和12)年に文部省が第一刷を発行『國體の本義』では、天皇を「現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絕對神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり」云々と書いていますが、大日本帝国憲法発布以来、天皇を絶対不可侵の存在ということで、キリスト教のGodの如きイメージを天皇に付与きたにもかかわらず、なぜ、政府自らやってきたことを否定のでしょうか。。
その理由は、まさか日本近代化のためにヨーロッパでのキリスト教の文化的機能を日本に応用すべく天皇制に着目旨をおおやけにはできないので、このような誤魔化しが必要だったってことでしょうか?実際、日本の記紀神話における現人神ないしは神というものは絶対的な存在などではなく、天皇は国民の親のような存在と愛され親しまれていたからこそ、日本人は戦争に負けても国内各地の巡幸では庶民が万歳の声を上げ、天皇にその責任を問うようなことはしなかったという意見もあります。。
奉安殿の拝礼や宮城遥拝やいろんなことで天皇の神イメージを高めたのでしょうが、そういうことをって国民の多くは天皇に対絶対神的イメージなんて持つはずはなかったのである。。
たしかに戦時中も一般庶民にとっての天皇は、絶対的なイメージよりも親しみあるイメージの方が強かったのではないか?せいぜいかつての穏やかな父親がちょっと厳しい感じも帯びた程度に変わったくらいでは…?といった想像はできます。。
天皇を絶対神化侵略戦争の遂行に利用のは庶民ではなくエリートの官僚や軍人や知識人です。。
天皇ご自身は皇祖に天照大御神などの神々をいただく祭司であり、皇統は神話と歴史とが区別しきれないのでその意味では今上天皇にも神性は認められるし、昭和天皇もそういう意味では現人神とは言えるわけで、その分には昭和天皇もそれほど抵抗はお感じにならなかったかも知れませんが、『昭和天皇独白録』で「又現神(=現人神)の問題であるが、本庄だったか、宇佐美(興屋)だったか、私を神だと云ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。。
そういふ事を云はれては迷惑だと云った事がある。。
」と言われたように、天皇ご自身が「迷惑」に感じられた意味での「現人神」とは日本古来の意味ではなく、西洋の神イメージがかぶさったものであったということでしょう。。
戦後に新日本建設に関する詔書、天皇のいわゆる人間宣言が発せられたわけですが、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」ているということが、一貫天皇と国民(の特に一般庶民)との心情的現実であって、「天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念」はあくまでも明治政府を立ち上げ持続し運営きたエリートたちによる「国家神道天皇教」と云われる壮大なる構築物であったことが自ら暴露されたわけです。。
小室直樹氏は『日本人のための憲法原論』の中で「明治政府がやろうとのは、キリスト教の代替物との宗教を作ることにありま。。
ヨーロッパがキリスト教の力によってデモクラシー国家になったように、日本は独自の宗教をもってデモクラシー国家になる。。
そのために行なわれたのが、天皇の神格化です。。
史上、どこの国が近代化のために宗教を作ろうと考えたでしょう。。
こんな国はどこにもありません。。
その意味では、明治の日本がやったことは空前絶後です。。
しかし、もし明治日本が天皇を神格化せずに、単に制度や法律だけを輸入近代化しようとら、どんな結果になったか。。
それは考えるまでもない。。
大失敗に終わったでしょう。。
」と述べておられますが、天皇神格化も敗戦によって近代化には使えないということが明らかになったのではなかったのでしょうか?絶対主義的天皇制は戦後の民主主義社会において完全に否定されることになりま。。
そこで質問です!国家神道(=天皇教)はまったく無意味だったのか? 日本の近代化および民主主義化に寄与ものはなんだったのでしょうか?逆説的ではありますが、やはり天皇神格化だったと思うのです。。
しかもそれが敗戦によって否定されたこと、その否定を媒介アメリカの民主主義が入りま。。
そ対米従属からの脱却が言われるようになりまが、これが日本近代化の決定打になったという点では、「国家神道(=天皇教)体制絶対主義的天皇制」 ⇒ 「敗戦」の逆説的意味があるのでは?日本史 | 政治、社会問題7